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戦国時代の結婚 (*加筆修正)

またblog放置してしまいました…
皆様、大河「真田丸」はご覧でしょうか。楽しいね真田丸!特にオヤジ昌幸!

twitterで戦国の結婚について連ツイしたら、意外にご興味お持ちの方多そうなのでまとめました。
過去のエントリと何かかぶるかもしれませんがご容赦を。

今夜の「真田丸」にて、さくっと信繁は生涯に妻4人、と軽く現代女性の神経を逆なでしにきましたが、当時の一夫多妻制は一部の階級ではごく当然の習慣であり、別にスケベでも何でもありません。
側室はメカケや愛人ではなく、ちゃんとした第二夫人、第三夫人(以下続…)です。
むしろ女にとって非常にあざといメリットのあるシステムでもあります。

例ですが、武家の嫡男のところへ嫁に行く場合、大名クラスの正室だと「化粧領」という個人財産を実家から持たされます。
この財力を元に、側室を呼び寄せたり大勢産まれる子供たちを養ったり、侍女に給料を払ったり、全部自前でまかないます。
生活費は夫とは別会計です。なんと養われていないのです!

そして側室というのは、実は女にとってわりとおいしいポジション。
実際結婚となると、家格のつり合いが非常に大事ですが、側室は正室が部下として選ぶので、格下の家から格上の家に入ることができる。
子供ができればそれがコネになる。
養ってもらえるので、財産はそんなに要らない。
(個人的に、いわゆる「玉の輿」のイメージってこの状況が起源かなと想像したり)
なお、当時は誰でも結婚できるわけではなく、結婚しない男女は多くいました。

あと当時は、妊娠出産ができなくても女性はそれを責められたりはしない。
子供が産まれなかったら養子もらえばいいじゃない!という考え。
実子に縁がなかったけども大活躍した正室の代表選手・秀吉室のおね様を見ればわかります。
大勢の養子も名家の側室たちも、彼女の凄腕の成果であり、秀吉の浮気なんかではありません。

なお、出自が低いおねは、出世した秀吉から「褒賞として」化粧領を貰っていて、活動するための財産ができた。
父光秀の謀反で一時期蟄居となった細川ガラシャも、復帰後は化粧領を戻されて実はけっこう活躍している。
正室が活躍するには、財産が必要だったのです。

という感じで、現代人から見ると浮気っぽく不誠実に見える一夫多妻制ですが、成り立ってた時代にはちゃんと家・男女ともに、意味もメリットもあったわけです。
しかし、賛美するほどのパラダイスとは言えない。
当時の子供が成人になる確率は3人に1人程度だったとか。子供ははかない。
母となる人の苦労は、いつの時代も変わらないとも言えます。

ヒント・側室が大勢いた大名の正室は、伝説の賢妻として大いに尊敬されてますよね。
秀吉室のおね、前田利家室のお松の方、伊達政宗室の愛姫、等々。
細川忠興もガラシャ含め5人ほど妻がいた。
正室の彼女らは「ボスとして閨閥を率いて権勢をふるい、家を盛りたてた見事な才女」。
別に亭主に浮気されてたわけではないのです。
実際どういう人だったのか、人物評の資料がなくても、例えば織田信長室の濃姫のように、大勢の側室がいたという事実から、充分活躍の程度が想像できるわけです。

以上、ツイートから加筆&転載しました。
何度か漫画でネタにしたけど、戦国女性はおそろしくしぶとく、懲りない、たくましい存在なので、またこのへんも引き続き何かを描いていきたいです

追記:戦国日本レポーター、ルイス・フロイス氏による戦国女性のセクシャリティについて
「ヨーロッパの未婚女性の最高の栄誉は貞操と純潔であるが、日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる」
「ヨーロッパで離婚は最大の不名誉である。日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚もできる」
(以上フロイス著「ヨーロッパ文化と日本文化」より抜粋)
二代将軍・徳川秀忠の正室お江与の方のように、生涯3度の政略結婚(つまり政略離婚も2度!)を体験する人もいました。
家の事情で実に軽率に、離婚・結婚が繰り返されます。
これを何とも思わない風潮では、たぶんお江与の方も「あーあ、次は当たりの家に嫁に行けますようにwww」くらいのことは考えていた気がします。

(初出/2016.03.20、加筆修正/05.22)
| 戦国 | 13:32 | comments(0) | 岸田ましか |

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