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コミック戦国無頼 2010年 09月号 [雑誌]
コミック戦国無頼 2010年 09月号 [雑誌] (JUGEMレビュー »)

松永久秀「信貴山城グランギニョル」60ページ

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戦国時代の結婚 (*加筆修正)

またblog放置してしまいました…
皆様、大河「真田丸」はご覧でしょうか。楽しいね真田丸!特にオヤジ昌幸!

twitterで戦国の結婚について連ツイしたら、意外にご興味お持ちの方多そうなのでまとめました。
過去のエントリと何かかぶるかもしれませんがご容赦を。

今夜の「真田丸」にて、さくっと信繁は生涯に妻4人、と軽く現代女性の神経を逆なでしにきましたが、当時の一夫多妻制は一部の階級ではごく当然の習慣であり、別にスケベでも何でもありません。
側室はメカケや愛人ではなく、ちゃんとした第二夫人、第三夫人(以下続…)です。
むしろ女にとって非常にあざといメリットのあるシステムでもあります。

例ですが、武家の嫡男のところへ嫁に行く場合、大名クラスの正室だと「化粧領」という個人財産を実家から持たされます。
この財力を元に、側室を呼び寄せたり大勢産まれる子供たちを養ったり、侍女に給料を払ったり、全部自前でまかないます。
生活費は夫とは別会計です。なんと養われていないのです!

そして側室というのは、実は女にとってわりとおいしいポジション。
実際結婚となると、家格のつり合いが非常に大事ですが、側室は正室が部下として選ぶので、格下の家から格上の家に入ることができる。
子供ができればそれがコネになる。
養ってもらえるので、財産はそんなに要らない。
(個人的に、いわゆる「玉の輿」のイメージってこの状況が起源かなと想像したり)
なお、当時は誰でも結婚できるわけではなく、結婚しない男女は多くいました。

あと当時は、妊娠出産ができなくても女性はそれを責められたりはしない。
子供が産まれなかったら養子もらえばいいじゃない!という考え。
実子に縁がなかったけども大活躍した正室の代表選手・秀吉室のおね様を見ればわかります。
大勢の養子も名家の側室たちも、彼女の凄腕の成果であり、秀吉の浮気なんかではありません。

なお、出自が低いおねは、出世した秀吉から「褒賞として」化粧領を貰っていて、活動するための財産ができた。
父光秀の謀反で一時期蟄居となった細川ガラシャも、復帰後は化粧領を戻されて実はけっこう活躍している。
正室が活躍するには、財産が必要だったのです。

という感じで、現代人から見ると浮気っぽく不誠実に見える一夫多妻制ですが、成り立ってた時代にはちゃんと家・男女ともに、意味もメリットもあったわけです。
しかし、賛美するほどのパラダイスとは言えない。
当時の子供が成人になる確率は3人に1人程度だったとか。子供ははかない。
母となる人の苦労は、いつの時代も変わらないとも言えます。

ヒント・側室が大勢いた大名の正室は、伝説の賢妻として大いに尊敬されてますよね。
秀吉室のおね、前田利家室のお松の方、伊達政宗室の愛姫、等々。
細川忠興もガラシャ含め5人ほど妻がいた。
正室の彼女らは「ボスとして閨閥を率いて権勢をふるい、家を盛りたてた見事な才女」。
別に亭主に浮気されてたわけではないのです。
実際どういう人だったのか、人物評の資料がなくても、例えば織田信長室の濃姫のように、大勢の側室がいたという事実から、充分活躍の程度が想像できるわけです。

以上、ツイートから加筆&転載しました。
何度か漫画でネタにしたけど、戦国女性はおそろしくしぶとく、懲りない、たくましい存在なので、またこのへんも引き続き何かを描いていきたいです

追記:戦国日本レポーター、ルイス・フロイス氏による戦国女性のセクシャリティについて
「ヨーロッパの未婚女性の最高の栄誉は貞操と純潔であるが、日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる」
「ヨーロッパで離婚は最大の不名誉である。日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚もできる」
(以上フロイス著「ヨーロッパ文化と日本文化」より抜粋)
二代将軍・徳川秀忠の正室お江与の方のように、生涯3度の政略結婚(つまり政略離婚も2度!)を体験する人もいました。
家の事情で実に軽率に、離婚・結婚が繰り返されます。
これを何とも思わない風潮では、たぶんお江与の方も「あーあ、次は当たりの家に嫁に行けますようにwww」くらいのことは考えていた気がします。

(初出/2016.03.20、加筆修正/05.22)
| 戦国 | 13:32 | comments(0) | 岸田ましか |

関ヶ原行ってきました

昨日は彦根、今日は関ヶ原に行ってきました。
DVC00087.jpg
ちょっと現地で約束があったり、お祭りを見たかったりだったのですが雨!!凄い雨!!…豪雨にやられてえらいめに遭いました…。
色々なイベントが中止になり、数少ない屋内展示のドリフターズ原画展に人が集中してしまって雨の中1時間待ち…!
ドリフターズ原画展
しかし待った甲斐のある素晴らしい催しでした。平野先生の生原画は美麗で、幻のアニメの上映もありました!
その後雨天決行の鉄砲隊を見ましたが、火繩銃があんなに素早く次々撃てる兵器なんだなと実感。お聞きしたところによると出演者はどなたも非常に手練れの狙撃手だとか。

屋台の名物を色々いただき、お土産を購入し、色々な方ともお会いし、わずかな時間ながらお祭りを堪能して関ヶ原を後にしました。

しかしここの盆地、いつまでも止まない雨に山の裾野まで濃いガスが下りてきて視界を遮るこの風景…長野に似ているような。あの川中島とか。
この濃い霧が夜明けに出たら、相手の様子なんか見えないだろうなあと思いを馳せたり。こういう風景は、ご当地に来なければ実感できないなと。

そして、ここもまた晴れたところを見なければならないので、再び出かける理由が出来ました…!
| 戦国 | 21:16 | comments(0) | 岸田ましか |

彦根城行ってきました

仕事でまずいスケジュールにもかかわらず行ってきてしまいました、初の彦根城…!
井伊直政像
大手口から昇ったのですが、もういきなり威圧されるというか、物凄い男っぽい城だなと。
DVC00052.jpg
色々な城がそうであるけど、ここは特にどこからでも掛かってこんかい!的な攻撃的な威圧感に満ちていて恐ろしく、非常に素晴らしい城でした!
城下町も目抜き通りから逸れていくと、いかにもなクランクだらけの道が続いて、ああお城の町だなあと、歩いていて嬉しくなります。
思わず琵琶湖のほうまでぐるぐると歩きすぎて体力的に終了しましたが…。
ちょうどキャラ博のイベント開催中でもあり、メロン熊に襲われたり、お城でひこにゃんと出会ったりと楽しく過ごしました。
ひこにゃん
前日までのひどい雨で佐和山は諦めたのだけど、そちらも攻略するために彦根はまた来なくては!
| 戦国 | 21:02 | comments(0) | 岸田ましか |

なんば歩き(ナンバ走り)の謎

JUGEMの更新もしたことだし、たまにはblogのほうも。

昨夜読んだ本から「なんば歩き(ナンバ走り)」という所作が気になっている。
江戸時代まで日本人は右手右足が同時に出る歩きかただった、という説だけど、本当にそうなのか?

私の大好き資料wの洛中洛外図(舟木本)を見ると、たいていの人は何か持って歩いていて、空いた手を振って歩いている人をほとんどみかけない。
商売道具を背負ったり、主人の槍や荷物を持ったり、女はかぶった被衣(かづき)を支えたりなので、手が空かない。

そんな洛中洛外図でやっと見つけたナンバ走りらしき動作。
清水寺の僧侶と思し人達。
階段の上り下りで同じ手足が出てる。
なんば歩き_清水寺

ところが、これは下立売通(しもたちうりどおり)をぶらぶら歩くオッサン。
手前の人物、左手が前、左足が後ろに見える?
いわゆる今風の歩き方。
通常歩き_下立売通

ところが、twitterで紗久楽さわ先生に教えていただいた合戦図だと、登場人物のほぼ全部がなんば歩きのポーズ。
合戦_なんば歩き
「大江戸図鑑(武家編)」という本掲載の「日吉山王参詣図屏風」の一部だそうです。
手ぶらの郎党と思しき人たちも全部なんば歩き。

仕草として、それをやるときとやらないときというのがありそうです。

日本絵画は様式優先なので、描写の正確さはアテにならないと言われ確かにそうなんだけど、私は洛中洛外図のような群像図でディテールの描画に関しては、えかきの観察スケッチの要素が強いと思っているので、わりと生活として見ています。

明治時代の動画だともうすべての人が今と同じ歩き方だという。(youtube動画があったらしいが現在は削除)
徴兵制で西洋式軍隊の所作の影響だという説もあるけど、街行く若い女性など徴兵と無縁の人たちも全部今歩きだすると、それはちょっと疑わしい。

思うに、なんば歩きという所作は確実に存在して、後に武芸に特化して残っていったんじゃないかと。
ただ、大多数がやっていたことが徐々に無くなったり、別のものになったりする時には必ず生活上の理由があるはずだけど、それはまだ解らない。

当時の所作とかは相変わらず気になりますが、そのまま描写するとなると…w
漫画ならまだいいかもだけど、大河ドラマや映画とかでリアルに全員が右手右足同時に出ていたら、けっこうぎょっとする光景になりそうです。
| 戦国 | 17:16 | comments(0) | 岸田ましか |

戦国時代の女性/参考にした資料など

 資料についてお問い合わせがあったので、こちらでご紹介します。

なにしろ仕事のために最近調べ始めたので、日が浅くて恐縮ですが、ほとんどは新刊書店で入手可能な研究本を参考にしています。

最近の本ですと、
●「決定版 図説 戦国女性と暮らし」(学習研究社)
は、図版が多く見ごたえがあっておすすめです。

他に入手可能なものでは
●「洛中洛外図 舟木本―町のにぎわいが聞こえる」(小学館)
●「細川ガラシャ」(ミネルヴァ書房)
などが、たいへん参考になりました。

それと、戦国期の様々なレポートを残している宣教師ルイス・フロイスの
●「ヨーロッパ文化と日本文化 」(岩波文庫)
●「完訳フロイス日本史〈3〉安土城と本能寺の変―織田信長篇(3)」(中公文庫)
などの著作は、なかなか興味深いのですが、要注意なのは異文化に対して納得いかないフロイスの虚飾がかなり含まれてしまっている点です(笑)
彼の感情的な感想の部分を差し引いて見れば、外国人女性に対する率直な驚きが色々描かれていて面白いです。

あとこれは、ネット検索でテキストが見れると思いますが、
●「おあむ物語」
●「おきく物語」
は、タイトルの女性本人が戦国期の体験を自ら語っている、珍しい貴重なレポートなので必見です。
テキストは文語体ですが、比較的読みやすいほうだと思います。
(現代語訳付きのものが岩波文庫であったのですが、残念ながら絶版のようです…)

それとこれは、昨年の展覧会のカタログ掲載の資料なので、現在どこで見れるか不明なのですが、
●「霜女覚書」
は、細川ガラシャ(=明智玉子)の侍女だった女性が、ガラシャの最期の様子を詳細に報告したもので、かなり生々しい内容です。
ガラシャは後世に相当装飾されてしまっているので、このレポートは実像にかなり迫っていると思われます。


ごく一部でありしかもかなり私の好みが入ってしまっていますが、どれも非常に面白いのでぜひご覧になってみて下さい。

なお、これも独断なのですが、どんな資料本も「時代の波に翻弄され」だの「政略結婚のコマに使われ」だの「側室への嫉妬があったに違いない」だのという、いかにも感傷的な枕詞がつく文言は、現代的なつけたしと見なしてスルーして読んでいます。
社会的性差の、現代との差異についていちいち怒っていると、面白いエピソードや知るべき事実を逃してしまうような気がします。

あと、江戸時代になってからの発行物(黄表紙など)のほとんどは、今で言う漫画やドラマのようなもので、作者の創作がふんだんに含まれ、歴史的事実を探る資料にはなりません。ただ、文芸としてはとても面白いです。


長文で失礼しました。
ぜひ、よいご本との出会いがありますように!
もし、他にも何かよいものを見つけられましたら、お知らせいただければ幸いです。

【追記】

●「戦国ファッション絵巻」(発行/マーブルトロン 発売/中央公論新社)
服飾のライフスタイルについてイラストで解説されています。
時代考証家が監修しているので、史実ではこうなのにテレビではなぜこう表現されるか?というネタ明かしなど読物も充実しています。
(2011.06.09)
| 戦国 | 01:38 | comments(2) | 岸田ましか |

戦国時代の女性の生活について

大河のせいか、このblogが「戦国時代 女性」等のワードで検索にかかってるようなので、拙いですが調べた範囲で知ってる小話を。
同人誌で書いたことと多少被ります。

これは個人的な私感ですが。
とかく、政略結婚や一夫多妻制や自由の無さを親のかたきのような設定で語られることが多い戦国女性ですが、よく考えれば当時はそれが常識だったので、当人たちはそこに疑問は持たないんじゃないかと。
現代の我々が、現代の常識を無意識のうちに受け入れているのと同様に「現代である当時」も、そうだったのではと思います。

それはさておき、ここでは戦国時代の大名クラスの女性について。


・当時の女性の仕事とは、家を守り子供を産み育てること。この「家」とは今で言うファミリーのことより「家制度」が優先されます。

・そのせいか、現存する女性の手紙の内容は夫や子供や実家や、預かってる人質や、その他関連する人達のことで頭がいっっっぱいの印象。色々な人に気を遣い、いつも無事を願っています。

・当時の武家の政略結婚は、家と家を繋ぐためのもの。なので政略「離婚」もありえます。

・結婚は「家」システムの重要な鍵であり、よく女性だけが「運命に翻弄され」と言われますが(笑)、男性も好みで相手を選んだりできません。結婚する子供たちは家から送り出される実弾のようなものです。

・だいたい10代のうちのどこかで結婚します。まだ若いし、すべてのことは把握できません。嫁ぎ先へは、年上の超有能な侍女が付いて行きます。この影の秘書が色々サポートします。

・結婚すると、実家筋に手紙を書きまくり家や人の繋がりを絶やしません。

・幼いうちに婚約することもありますが、初潮を迎えるまでは当然夫婦にはなりません。いざ夫婦になると、男子を出産するまで妊娠を続けます。体力勝負!

・幼い子供の養育も重要な仕事。特に嫡男については、コネを駆使して禅宗の高僧に来てもらいます。家庭教師を探すのは母の仕事です。

・自身が教師になることもあるようです。武田信玄正室の三条夫人は、自分の産んだ子にも側室の子にも皆、彼女の出身である公家風の行儀作法を授けたと言われています。

・正室が、側室を探してきて連れて来ることもあります。目的はもちろん妊娠してもらうのと、結婚によって繋がる家を増やすため。子供の数は多ければ多いほどいい。

・一夫多妻制度なので、側室も正式な奥さんです。愛人やメカケではありません(笑)

・なので、旦那が「浮気(妻でない女性が相手)」をすると奥さん達は怒り狂うようです…。結婚による繋がりを無視して好き勝手な相手と、というのは家制度のルール違反なんでしょうね。何のために私らがいるのよ!ということかと…。

・色々な繋がりを作るのが仕事なので、他家への贈答品を手配したり、戦の物資の手配とかもしていたようです。家同士の関係や、庶務的な事情を熟知していないと出来ない、裏方の難しい仕事です。

・なおこの時代の習慣として、高貴な女性ほどあまり外に出ません。外に出るときや、屋内でも人が多いところでは被衣を被ります。おそらく、家の仕事で相当忙しいと思われるのでそんなに遊ぶ余裕はないかもしれない。

・外に出ず見知らぬ人とほとんど会わない生活でも、今で言う外交も仕事としてこなします。実際に動くのは名代の侍女たちですが、それを指示するのは奥方の仕事です。大坂の陣で、講和交渉の席で実際に活動したのは西軍も東軍も女性達といわれています。

・家系図で「女(だれそれの娘、の意味)」と書かれるだけで名前の残っていない人が多いですが、女性の名を直に呼ぶのは両親や夫など一部の目上の人だけです。

・武家の奥方という身分は、それ自体が気を遣い頭を使う大変な仕事です。いや業務というべきか。おそらく、自分よりも一族のことをいつも気にかけ、自分は表に出る気のない当時の女性達の、見えない凄さをつくづく感じます。



以前のエントリやTwitterと被るかと思いますが、まとめ的なエントリとして載せました。
何かお気づきの点があれば、ご指摘いただければ幸いです。
また、こちらでも逐次修正するかと思います。
| 戦国 | 23:33 | comments(2) | 岸田ましか |

戦国の女性・エプロン?について

 少し前にTwitterで言ったネタですが、女性の前掛けについて。

大河などでは、侍女とか庶民女性の衣装としてスカート状態の前掛けをよく見かけますが、あれはしびら(褶)と言って、装束事典などによれば下級の女房・庶民女性が着るものだそうです。
しびらの女性
ただ、室町後期に流行したという記載も見かけたので、戦国時代より少し昔のものかもしれません。

じゃあ戦国時代はどうだったのかと言うと、洛中洛外図ではこんな感じのが見られます。
前掛けの女性
舟木本では、どこを見ても前掛けはこればっかり出てきます。しびらの女性はまだ見つけられてません(私が)。
庶民の働く女性がつけているのは、みな赤いエプロン。なぜ赤なのかは不明ですが。

なお舟木本では、貴人女性の上臈と思しき侍女(同じ部屋の中で一緒に座ってるクラス)たちは、女主人とほぼ同じような格好をしていて、しびらも前掛けも付けません。
上臈は女主人の名代として外出したり、人前に出ることもあるから、同レベルの服装が必要なのかと思います。

今、wikiで「裳」を検索すると「しびらだつ物」という項目があります。
そこでは庶民女性の礼装とあるので、もしかしたら、室町期に流行したものがそのまま服装として定着したのかもしれません。

というわけで、大河で侍女がしびらをつけているのは本来の風俗とは違うようですが、これはきっと設定上の見た目のわかり易すさを出すためかなと。
何を差し置いてもわかりやすさは大事。


…と、相変わらず時代物の仕草や服装は気になりまくりなのですが、漫画の場合ビジュアルと臨場感は大事なのと、まだあまり情報を持ってないので、気になることはとりあえず調べたりしています。
| 戦国 | 16:49 | comments(0) | 岸田ましか |

日本の肖像画って全然本人に似てないってマジですか

今の仕事について。
漫画なので、武将とかキャラクター化してビジュアルの設定をする必要があります。
特に肖像画を探してきて参考にしたりしますが、そっちの図像についていろいろ調べているうちに、

日本の肖像画って、古代からごく近代まで像主(モチーフとして描かれる本人のこと)に全然似せる気がないという事実を知って唖然としております…。
似て無くてもいいんですって。なんたるこった。
どうりで、美術書専門書とかで見る解説って、こちらの期待とはずいぶんズレてて違和感あるなーと思った…。

古来から日本の肖像画(この場合実在した人物)は、故人を偲んで遺族が絵描きに発注して描かせるものが普通なんだそうです。
要するに大抵の場合、描かれた時点でその人は亡くなっている。生きてる人をわざわざ描く場合は「寿像」という呼び方があったりする。
ゆえに、エカキが本人をスケッチしたかどうかは限りなくあやしく、むしろ本人に会ったことのない可能性のほうが高い、とのこと。

いちおう、遺族からこういう感じの人、と注文を受けてモンタージュ作成のような状況で描いたりもするらしい。
が、大事なのは、遺族がその人の供養のために描かせた、という出来事のほうのようで、本人の容貌を再現してるかどうかについて、当時の人は全然気にしていない。

あーびっくりした。
私事ですが、学生の頃勉強したのは専攻上、主に西洋美術ばかりで、日本画につていはサッパリでして、好きな画家しか知らない有様です…。
じゃあ西洋絵画をちゃんと解ってるかと言われるとかなりやばくて申し訳ないですが…。
ヨーロッパのいわゆる肖像画はスナップとして十分に機能しており、画家が細密に当人のキャラクターを再現しているのは、皆さんご存知のとおりです。
美術館とかで見れる絵、まるでそこに本人がいるようでしょ。
あれがヨーロッパの画家の極上のテクニック。

じゃあ本邦の画家は技術で劣ってるのかというとそういう話でなく、本人に似せること以外に、職業として、また後世では美術品として、ちゃんと価値があるわけです。
そして似ていなくても、資料としての価値も、もちろんある。


ところで世間では知られてるとおり、目撃者から警官が事情聴取して手書きで作成するモンタージュ画像は(失礼ながら)ほぼ素人絵のスケッチ状態ですが、その画像を手がかりに発見された人物と画像を比較すると、なぜか不思議と似ている。
絵画としてどうこうでなく、人の記憶を呼び起こす技術が秀逸なのがよくわかります。
もしかしたら、そうしたモンタージュ作業によって、ちょっとでも、本人に似た図像が出てこないかなーと期待してみるも、それはもう少し調べてみないと解らない。

でも、今後もキャラクター設定については、肖像画が実在するもの、見つけられたものについては十分参考にさせていただく所存です(それに似せるか否かはその時次第)。今のところ。


そんな日本の不思議な肖像画の話。
似てなくても、その人を思う家族の気持ちがある。
そういう日本の絵のことをもう少し知らないといけないなーと思います。
| 戦国 | 20:27 | comments(2) | 岸田ましか |

戦国時代の女性の仕草・06【付記】

 リアル戦国ウォッチャーの一人、宣教師ルイス・フロイスが、当時の日本女性についてのコメントを自著「ここが変だよ日本人」…ではなく「日欧文化比較」という小冊子に書いています。
ここに、女性の座り方についての貴重なレポートを発見。

-------------------
(以下引用・岩波文庫「ヨーロッパ文化と日本文化」より)

第二章 女性とその風貌、風習について 63
(前略)日本の女性はいつも畳の上に座り、足を揃えて後方に向け、片方の手で支えている。

(引用以上)
-------------------

しかし知られているとおり、フロイス氏の報告は、偏見、誇張、勘違い、見まちがい、思い込みが多く、紛らわしいこと顕著なので、言葉のまま鵜呑みにするわけにはいかないのですが、レポートを見る限りなら、畳の上に座るような貴人の女性(武家の正室等?)には、どうやら横座りもあったらしい?

おそらく、フロイスの出会った女性はこんなだったのではないか。
想像_フロイスの見た姿
当時の人から見たら、南蛮人はとても珍しかったでしょうね。



今回のネタはここでおしまい。また、どこかへ続くかも。
| 戦国 | 22:03 | comments(0) | 岸田ましか |

戦国時代の女性の仕草・05【おそらくこんなお辞儀】

 現時点での想像図。戦国時代の女性のお辞儀について。
(わざと足の下書きを残して見えやすくしてみましたが…どうかな)

(F)会釈程度なら立て膝座りのまま、両手を両脇あたりの床について。
想像_会釈

(G)深くなら、片足は正座、もう片足は跪座か立て膝にして、両手を前につく。
想像_深くおじぎ

自分でもやってみたけど、これらは無理なく普通に出来る。特に(G)はもっと深く倒れることも可能。

以上はあくまでも想像だけど、それにしても洛中洛外図がかもし出す当時の生活の臨場感は非常に楽しいです。
日本の絵画は様式的な要素が多いので、風俗画も見たまんまの生活を100パーセント描写してるわけではないですが、同時代に描写された洛中洛外図については、結構生活感が出ていると思う。
数千人の登場人物の、座る、歩く、走る、騎馬する、笑う、怒る、嘆く、驚く、人と出会う、売り買いをする、イチャイチャする(男女だったり男男だったり…)、踊る、酔ってゲロを吐く…等々、そのときの日常で見かける無限の仕草を、デザインされた様式のみで描いているとは思えない。作者の写生の要素はふんだんにありそうです。

参考にした舟木本は、関ヶ原直前の時期に描かれたといわれているので、もしそうなら、戦国時代末期の世界を十分垣間見れる資料だと思います。
江戸時代に入って、特に戦後生まれの画家が描いたものになると、美術品としては価値があっても戦国の資料としては、おそらく当てにならない。
(江戸時代になると、かつての戦国は軍記ものというエンターテイメントとして、作り手や依頼主の意向が存分に含まれる創作描写になってしまいます。まあ今の私がしてることは同じですが(笑)

というわけで、驚くような新事実というものではありませんが、調べないとわからないことはまだまだ多いなとつくづく思ったり。

また引き続き、戦国時代に描かれた洛中洛外図の、中の人たちを探しに行ってこようと思います。
しかし、こんなの気にしてるのって私だけか?
ほとんどwebで見かけなかったもので…。

にしても、調べ物に関してはほぼ素人だし、まだまだ色々足りないと思います。
何か気になる点や、ご存知の情報などがございましたら、ご教示いただければ幸いです。


(06に続く)
| 戦国 | 21:47 | comments(0) | 岸田ましか |